これは、ネタの無い私が高校の宿題で執筆した「産業教育について」という1000字以上1200字以内の作文をそのままプログにコピーアンドペーストしただけの記事である。
私の産業教育は、農業や林業、水産業といった自然界から資源を採取する第一次産業でも、鉱工業や製造業、建設業といった資源を加工して財を生産する第二次産業でもない、その他のサービスや金融や小売、そして飲食や公務が含まれる第三次産業である。
私はその第三次産業の情報と通信を主に学習している。産業というのは何かを生み出すことである。私はその中で、ソフトウェアを作り出すことを学び、また実際に作り出している。
これを産業といっていいのか、そもそも第三次産業は産業教育に含まれるかは不明だが、少なくとも作り出したものによって幸せになる人々がいる、産業というものはそういうものだと私は考えている。
ただ、実際に作り出したものによって幸せになっている人々の裏では、それを作り出した人もいる。彼らは果たして幸せなのだろうか。作り出したことによる達成感が得られることはあるかもしれない。
ただし達成感だけでは飯を食べることはできない。作り出したものへの対価を支払うことで初めて、作り出した人にも幸せが訪れる。このことを経済というのであろう。ただし、まともに対価を支払われている場合だが。最近では、「そんなことにお金かかるの?」、「かんたんなことでしょ?」「無料でやってよ」などと正当な対価を支払わない実態が多い。
仮にそれが自分にとって簡単なことだったとしても、「自分にとって簡単になるまでの期間」が必要である。仮に依頼をしてきた人に御恩があったり評価に繋がったりするといった別の対価になるのであれば話は別だが、自分がそこまで成長する過程、会得した技術の蓄積を、何もしていない人に搾取されることはおかしいと思う。また依頼ではなく質問でも、丸投げのような質問をされて実質タダ働きのような結果になってしまうこともある。
かくいう私もそのような質問をしてしまい、相手に見放され疎遠になった経験がある。それから反省し、自分でできるところまで頑張ったけど出来なかったという旨をちゃんと伝え、相手に対する敬意と感謝を込めて依頼をするように心がけるようにしている。相手の経験で得た知識を拝借するのだからそれが礼儀ということを学んだ。
そしてその知識を習得して自分のものにし、それをまた別の人に伝えていく。産業教育というのは経験や知識を後世に伝え、途絶えさせないことなのではないかと思う。私は工業高校で様々な技術を学び、進学後の専門学校でも学ぶつもりでいる。そして就職し、得た技術力で人々を笑顔にしたい。そう思っている。
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